フィンエアーがロシア上空を通過できない日が来るなんて・・・
フィンランドの航空会社「フィンエアー」は、ロシアのソビエト時代には撃墜される可能性があったためソビエト(ロシア)上空を通過せずに北回りと南回りのルートを使っていましたが、今回のロシアのウクライナ侵攻によって再びロシア上空を飛べなくなったという投稿が反響を呼んでいます。
今日、フィンエアーはヘルシンキから日本へ飛びません。実は毎年のように12/24の日本線は運休になるのです。フィンエアーは公式には口を閉ざしていますが、きっと今夜は長距離用の機材とパイロットが必要なんでしょう。世界へ向かうサンタクロースのために。#フィンエアーの偉業
— JIC(ジェーアイシー) (@twiJIC) December 24, 2017
フィンエアーはいま、こんなルートを「北回り」と呼んでいます。でもちょっと待ってください。30代以上の方は覚えていらっしゃるでしょう。本当の北回りルートはこんなものじゃなかったことを。そしてフィンエアーはその歴史に伝説的役割を果たしたことを。#フィンエアーの偉業 pic.twitter.com/epanjp0qHh
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ロシア専門旅行社が言うのもなんですが、むかし、民間機さえ撃墜する恐ろしい国がありました。そこで先人たちは命がけで、その国を避けるルートを考え出しました。南回りと北回りです。特に北回りは当時の飛行機の性能の限界に挑戦するものでした。#フィンエアーの偉業 pic.twitter.com/id74IvssBg
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北回り、南回り以外にもルートはありました。例の恐ろしい国の国営航空会社です。最短経路で飛ぶことができましたが、そのサービスはあまりに高尚で、正しい思想を身につけた者にしか理解できませんでした。#フィンエアーの偉業 #恐るべしアエロフロート https://t.co/kM0sw5C6Q6
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「資本主義国では、あなたが旅客機の座席をリクライニングする。ソビエトロシアでは、座席があなたを倒す!」これを #ロシア的倒置法 を使ったジョークだと思った方は甘いです。これは真実でしたし、よく訓練された乗客にとってはむしろご褒美でした。
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話を戻します。北回りルートは、不時着に適した場所が少なく、最寄りの陸地は近づくと撃墜されるという無理ゲーだったので、アンカレッジに寄って給油するのが常識でした。1983年、フィンエアーはそこを無着陸で飛んでみせたのです。誰もが驚嘆しました。#フィンエアーの偉業 pic.twitter.com/b6I7dsRjW5
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フィンエアーは、この前代未聞の「ベーリング海経由北回り直行便」を実現させるため、特別に座席数を減らし、燃料タンクを増設したDC-10-30ER という機種を用意して臨みました。#フィンエアーの偉業
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操縦が難しいと言われ、多くの航空会社が短期間で手放してしまったMD-11という飛行機も、フィンエアーは苦もなく使いこなしていました。というか、むしろ気に入って使っていたようです。Mです。#フィンエアーの偉業
— JIC(ジェーアイシー) (@twiJIC) December 24, 2017
そんな熱いフィンエアーさんが、なぜか今夜は日本へ飛びません。もう毎年のように、12/24は飛ばないのです。一体なぜなんでしょうね。😊(始めのツイートに戻る) #フィンエアーの偉業
— JIC(ジェーアイシー) (@twiJIC) December 24, 2017
ネットの声
私が父の欧州赴任に伴い渡欧した際(1979)のフライトは北回り、その5年後の一時帰国の際(1984)のフライトは香港経由の南回りでした。二回目、三回目、四回目の一時帰国は全部直行便で、それ以降の海外出張や旅行でもヨーロッパ便は全て直行便でした。FF外から失礼しました。
— Ad_Meyer@Modernizedx2🇺🇦 (@MCEscher68) February 28, 2022
卒業旅行で行きは南回り、帰りは北極回りで、言わば当時のソ連を遠巻きに一周してしまった私が通りますよ。σ(^_^;)
— 谷梅之助 (@umenosuke_tani) December 25, 2017
私の父(1960年代生まれ)の小学生時代の自由研究が「西ドイツ・フランス・イタリアへの旅行」でした。ドイツが東西に分かれていることや国境附近にお墓が在ることも衝撃的でしたが、地図を貼っていて、遠回りのアラスカ経由で向かったこともやはり強い印象として残っています。
— ニダオ・第2期 (ミュート推奨) (@segundonidao) February 28, 2022
アンカレッジ空港のうどん、今もあるかなー。アエロフロートのモスクワ乗換で、夕ごはんで口に合うものがお砂糖ジャリジャリのチョコレートぐらいだったことも忘れられない😊
— Melody1223 (@melody1223468) February 28, 2022
こんにちは。
私は40年前は仕事でドイツへ行っていましたが、アンカレッジ経由でした。まさか、昔の冷戦時代のように戻るとは思っていませんでした。— 元祖・田舎村@山口県岩国市 (@ganso_inakamura) March 1, 2022
そのうち「飛んでもいいけど一回モスクワ降りよっか」っていうことになりましたとさ。
— やまねこ@野遊び (@Yamaneko5_7_5) March 1, 2022