DQNの川流れ(玄倉川水難事故)とは?そう呼ばれるようになった理由とは?
DQNの川流れとは、玄倉川水難事故を揶揄した呼び方で、主にインターネット上で使われている言葉です。玄倉川水難事故は1999年8月14日に神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川で起こった水難事故です。この事故では、子供を含む13人が犠牲になりました。
この玄倉川水難事故が「DQNの川流れ」と呼ばれるようになったのは、次の理由があるからです。
・被害者のDQNの行動が事故を招いた
・被害者たちが激流に流される様子がテレビの全国放送で流された
そして、「DQNの川流れ」はあまりにも語呂が良く、玄倉川水難事故を的確に言い表している言葉なので、ネットを中心に認知され、いつの間にか「玄倉川水難事故=DQNの川流れ」と認識されるようになりました。
玄倉川水難事故はインターネット上でDQNの川流れと呼ばれるようになり、「真夏の教訓」とされることで、毎年夏になると、定期的に5ちゃんねる等で話題になっています。
『DQNの川流れ=玄倉川水難事故』っていう本当にあった胸糞な事件
ダム職員「危険だから避難して」
↓
DQN「大丈夫」と追返す
↓
警察「死ぬぞ!避難しろ!」
↓
DQN「うるせぇ!」と追返す
↓
13名死亡(4人の子供含む)
↓
救助後も悪態をつくこれは可哀想?自業自得?pic.twitter.com/8jFlHcOfAb
— 激バズ3rd (@gekibnews) August 11, 2023
以下はその詳細な経緯です。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の詳細や時系列での出来事
事故の発端は1999年8月13日にありました。富士繁の戸塚工場のドライバーである加藤直樹をリーダーとする25人のグループが、丹沢湖でキャンプを計画し、玄倉川に集まりました。
■1999年8月13日
午前10時ごろ:
加藤直樹をリーダーとする25人のグループが玄倉川に到着し、中州にテントを張る。キャンプを楽しむために集まった。
午後3時ごろ:
雨が降り始める。キャンプ客は50人ほどいたが、そのうちの25人がグループだった。
午後3時20分:
ダム管理職員が巡回に来て、天候の悪化と増水の危険性を知らせ、退避を促す。ほとんどのキャンプ客が水際から離れて退避したが、このグループは退避しなかった。
午後4時50分:
神奈川県に大雨洪水注意報が発表される。雨はますます激しくなってきた。
夜7時:
雨は断続的に降り続け、グループの中から日帰り予定の4人がキャンプ場を離れる。キャンプ場には21人が残る。
夜7時35分:
雨が激しさを増す。玄倉ダムが放流予告のサイレンを鳴らす。他のキャンプ客は全員退避し、テントを持ち去った。
夜7時50分:
ダム管理職員が2回目の巡視を行い、グループに中州からの退避を勧告するが、テントの中からは反応がない。
夜8時06分:
ダム管理事務所がキャンプ客が中州にとどまるのは危険であると判断し、警察に通報する。
夜8時20分:
玄倉ダムが放流を開始する。水位が上昇し、川の状況が急速に悪化していく。
夜9時10分:
ダム管理職員と警察官がグループに再度退避勧告を行う。一部の人々が中州から退避し、車に避難する。
夜10時45分:
警察官が退避を求めるが、グループのメンバーは酒に酔った状態であり、警察官に暴言を吐く。警察は引き上げる。
■1999年8月14日
午前5時35分:
神奈川県に大雨洪水警報が発表される。天候がさらに悪化していく。
午前6時:
3人のグループメンバーが対岸にいたため、グループは21人になる。この時点では水流はまだ膝下くらいで、中州と岸を歩いて渡れる状態だった。
午前6時30分:
警察官が現場を確認する。
午前6時35分:
雨による増水で、玄倉ダムが放流量を増やす。
午前7時30分:
警察官が巡回し、グループに退避を求めるが、反応はない。この時点でまだ対岸と陸続きだったため、警察は安全だと判断した。
午前8時:
天候が悪化し、川が増水して中州が水に囲まれる状態となる。子供はテントの中にいたが、大人はテントの外に出ていた。
午前8時04分:
前日に避難したグループメンバーから、「大人12名、子供6名が中州に取り残されて渡れない」と消防に救助要請の通報が入る。
午前8時30分:
中州が水没し、テントは流されている。立間堰堤での水深が増し、グループは取り囲まれる状況に。
午前9時07分:
救助隊が到着。しかし、激しい水流のため救助は難航。救助要請が増員される。
午前10時01分:
要救助者18人は膝上まで水に浸かっている状態。救助が進行中であり、テレビ局も現地に到着。
午前10時10分:
救助用ヘリコプターの出動が要請されるが、悪天候のため却下。救出方法はロープによるものに絞られる。
午前10時27分:
救助隊が救助用ロープを発射しようとするが、成功せず。
午前10時42分:
要救助者は腰まで浸水。グループは自力で持ちこたえる構えを見せ、テレビで全国放送される。
午前11時:
ダム管理事務所がダムの放流を5分間停止。しかし、安定性を保つため再び放流を始める。
午前11時38分:
やがて水深は2m、中洲の水位も大人の旨ほどに達していた
午前11時40分:
グループの中から3〜4人が流され、これをきっかけに18人全員が水流に飲み込まれる。1歳の子供は救助されるが、13人は下流へ流れ去ってしまう。
■1999年8月15日
翌日の8月15日朝、警察・消防・自衛隊が340名体制で捜索した結果、対岸に流れ着いた4人が救助されました。
救助後に、提供されたおにぎりを「不味い他の物を寄越せ」と地面に叩きつけるなど、救助されてもなお態度は最悪だったという。
18人のグループが無謀な行動と警告を無視した結果、13人の犠牲者(うち子供4人)を出すこととなりました。この事故は、その後もこの事件は、DQNの川流れとして取り上げられ、インターネット上で広まりました。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)で犠牲者が増えた原因となった集団心理
このような状況や行動がなぜ起こったのかについての理解は、非常に複雑であり、多くの要因が関与していることがあります。この特定の事例については、以下にいくつかの考えが示されていますが、個々の行動の背後にある正確な心理的・社会的要因を明確にすることは難しい場合もあります。
●集団心理と群集行動:人々は集団の中で異なる行動傾向を示すことがあります。集団内の意思決定は、個々の判断を歪めることがあり、リーダーシップの影響もあります。この場合、リーダー格である加藤直樹の行動が影響を与え、他のメンバーも同様の行動をとる可能性がありました。
●リスク評価の歪み:人々は時にリスクを過小評価し、あるいは無視することがあります。これは特に非現実的な楽観主義や、他の人々が事故に巻き込まれるとは思わないという思考傾向が影響することがあります。加えて、アルコールの摂取が冷静な判断を阻害することもあります。
●情報選択バイアス: 人々は情報を選択的に受け入れることがあり、自分たちの信念や意図に合った情報を重視し、それに基づいて行動することがあります。この場合、警告や危険情報を受けても、それを無視することができました。
●社会的影響:グループ内で他の人々の行動に合わせる傾向があることがあります。もし他のメンバーが同じような行動をとる場合、個々の判断は影響を受ける可能性があります。
●判断の錯誤:人々は時に論理的な判断を誤ることがあります。この場合、誤った判断や危険を認識しない判断が影響した可能性があります。
これらの要因は複雑に絡み合い、事故の発生や犠牲者の行動に影響を与えた可能性があります。状況や行動の背後にある正確な心理的・社会的要因を特定することは難しいですが、このような出来事からは、危険を過小評価せず、リーダーシップや情報の選択に注意を払うことの重要性が浮き彫りになっています。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の場所はどこ?
玄倉川水難事故は、1999年8月14日に神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川で発生した水難事故です。事故の場所は、神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川です。玄倉川は、丹沢山地に源を発し、相模湾に注ぐ一級河川です。事故現場は、玄倉川の流れが急な中洲でありました。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の犠牲者と生き残り(生存者)の名前
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の生き残り(生存者)は、救助隊に暴言を吐いたとされるリーダー格の加藤直樹の娘と息子、それと富士繁社員の平野兄弟となります。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の生き残り(生存者)の名前
加藤朝香(5) – 加藤直樹の娘。
加藤一樹(1)- 加藤直樹の息子。叔父が沿岸に放り出したのを救助。
平野嗣富(31)- 富士繁社員。平野幸男と兄弟。
平野幸男(29)- 富士繁社員。平野嗣富と兄弟。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の犠牲者の名前
犠牲者となったのは、リーダー格の加藤直樹の仕事仲間であることがわかります。
松尾 理恵(30) – 主婦松尾利美さんの妻
松尾 歩(9) – 松尾さん夫婦の娘
松尾 駿兵(5) – 松尾さん夫婦の息子
加藤 裕二(33) – 富士繁戸塚工場作業員、加藤直樹さんの実兄。横浜市港南区日限山
加藤 美江(28) – 主婦加藤直樹さんの妻、松尾利美さんの実妹。横浜市港南区野庭町
加藤 優香(1) – 加藤さん夫婦の娘
梶ヶ谷 剛(25) – 富士繁戸塚工場ドライバー。横浜市港南区野庭町
織立 亜希子(25) – 梶ヶ谷さんの婚約者。神奈川県相模原市東大沼
高橋 直人(26) – 富士繁戸塚工場ドライバー。横浜市港南区下永谷
小野崎恵子(27) – 高橋さんの恋人。横浜市磯子区洋光台
原田 敬介(48) – 富士繁戸塚工場ドライバー。横浜市南区別所
原田 千佳(9) – 原田敬介さんの娘
幼い子供がいながら、さらに何度も危険回避のチャンスがありながら、そのDQNな行動原理にて犠牲者を出してしまったことについてリーダー格には大きな責任があるのではないでしょうか。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)のリーダー格の加藤直樹のその後・現在
DQNの川流れで暴言を吐いたとされるリーダー格ですが、炎上にも関わらず富士繁を退職したのでは?と思いきや、2021年時点ではまだ富士繁で働いているようです。
というのも、事件の生存者のその後の調査を依頼されたYouTuberが富士繁と思われる会社に突撃したところ、加藤直樹と思われる人物のインタビューをしていたからです。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の生存者の加藤朝香のその後・現在
DQNの川流れで父親の加藤直樹と共に対岸に流れ着いて生存した加藤朝香は、2011年にアメブロにて当時の事件を改装した記事をネット民が見つけてその存在が確認されています。
たまにね私、ふとあの時の事を思い出すんだ。幼稚園の頃の事故あれは一体なんだったの?どうして私の家族なの? 小さい頃私がママを殺したんだ。私さえ居なければママは生きていたんだ。 パパがね私を抱いててママがパパに助けを求めていたんだ。
手を伸ばしてね一生懸命流されないようにしてたんだ。けどねパパまで水に連れていかれそうで怖かったんだ。だからねパパやめて!って言ったんだ。 そしたらパパがママの手を離したの。
そしたらママ水と一緒にいなくなっちゃたの。
これって私のせいだよね。 ごめんね本当に…。ママに逢いたいです。小さい頃もずっとママが欲しかった。皆にはママがいて私には居なくて悲しかった。 今でもママが戻ってきてほしいと思っている。あと優香にも戻ってきてほしいんだ。
私には妹がいたんだよ。 ママがいなくなっても明るい朝香でいてねって色んな人に言われた。 そう簡単に言うなと思ったよ。
けど私なりに頑張ってきた。毎日明るく生きてる… ーーー
2チャンネルでもそれが言及されています。
なお、生き残った一樹か朝香がデキ婚されたという噂も掲示板に書かれていました。