「震災に意味づけやめて」東日本大震災に意義を見出すことへ異論を唱える新聞の寄稿が話題
新聞に「震災に意味づけやめて」のタイトルで東日本大震災に意義を見出す風潮に異を唱える寄稿が反響を呼んでいます。寄稿の最後の締めの部分でも「だから私は震災を都合よく語ったりはしない。あの日起ったことを、自分の記憶に刻む。ただ、それだけ」という文章がとても印象的な内容になっています。
ネットの声
涙がでた。。
すばらしい投書。その通り。特に政治利用のための意味づけは醜悪。
私見で恐縮だが
直接被害に遭われた方で
震災に意味づけしないとやりきれなかった方もおられよう
個人の思いは自由なのではないか
ただ 個人ならば
自分の状況や立場を客観的に把握し
当事者やより近い立場に居た人に対しての配慮は
して然るべきと思う
駄目なのは
権力が意味づけを利用する事です
「先生、俺は挨拶もなく友達と別れて、双葉から来たんです」
震災の6年後に高校生の彼は号泣しました。
この気持ちを人に話したのは、その日が初めてだったそうです。
震災はたくさんの「絆」を奪った。
何も言えずに、一緒に泣いた。
全くその通りですね。
絆の押し付けなどウンザリします。
愛国心などと大上段に構えなくとも、この国や地域、そこに住む人々への愛情など誰でも普通に持っています。
最近のテレビは、被災された方のドキュメンタリーばかりです。
どうやって原発事故を収束させるか、とかこれからの原発運用の是非について語ることがなくて、心配です
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