日本人の死生観は、「海辺に住む者と山手に住む者では全然別の死生観で動いている」ので把握しずらい
お盆なのでそれっぽい話をすると、日本人の死生観ってけっこういろんな考えが混ざっていて把握しずらいんですよね。
昔、とある老行者から聞いた話では「海辺に住む者と山手に住む者では全然別の死生観で動いている」とのことでした。— 天狗堂通信⚡ (@tengudosyobo) August 14, 2022
海辺、漁村などに住む人々は基本的に「人は死んだら海の向こうの異界へ旅立つ」という考えが強いそうな。
だから死者が帰ってくる墓は海のすぐ近くか、海を見下ろす高台に作ることが多い。また精霊船を海に送り出すのもそのためだとか。
写真は鳥取県の花見潟墓地。見渡す限り墓石の続く死者の街ですな pic.twitter.com/JoHRaO7Ch8— 天狗堂通信⚡ (@tengudosyobo) August 14, 2022
対して山手に住む人々は「死者は山へ還る」という考えが強いそうな。人は亡くなるとまず、村の裏山にある墓地へ埋葬される。そこで死者は先祖として子孫を見守り、子孫は祖先のために供養を行う期間が続く。
そして何事もなく供養が続けられれば、祖先はやがて山の奥へと移動していくそうな。— 天狗堂通信⚡ (@tengudosyobo) August 14, 2022
里山に登った先祖の霊は田の神となり、春に村へやってきて恵みをもたらす。それと同時にかつて人間だったころの個性はしだいに薄まっていくのだとか。
それから長い長い年月が経ち、かつて人間であった頃の記憶や個性がすっかり風化すると、先祖の霊は里山から奥山へと移り山の神となるのだそうな。— 天狗堂通信⚡ (@tengudosyobo) August 14, 2022
こうして段階を踏んで先祖の霊は人から神へ変化するのですが、そのために田の神は人だったころの記憶が残っていて親しみやすい一面が、逆に人としての記憶が風化しきった山の神は厳しい一面があるのだとか。 pic.twitter.com/kbVNPRu2sY
— 天狗堂通信⚡ (@tengudosyobo) August 14, 2022
ネットの声
自分の生活する恵みがどこから来ているかを考えれば、その先にご先祖様が居ると考えるのは納得。
— 沸騰石 (@2Wm8gRwCrUzYGO9) August 14, 2022
山奥育ちですが、
死者は川から海へ下りあの世へ行くという考えで、
初盆では舟を川へ流し成仏してもらう為、お盆期間中は死者に連れていかれるから川で泳ぐな!と教わりました。
ご先祖様が帰ってきてる時ぐらい家にいなさいって事なんでしょうけど、、— U (@U92969057) August 15, 2022
なるほど、読んで見ると実に興味深い内容のお話ですね。
確かに地域性のある概念かもしれない。
自分は空に昇りたいなぁ— 思い付いた時につぶやく垢 (@HI_TO_RI_MO_NO) August 15, 2022
死生観そのものは分かりませんが、
びわ湖花火大会やっている大津市浜大津近辺では30年くらい前までは琵琶湖岸で精霊流し/お焚き上げみたいなのやってましたが外来種のヒトのクレームで無くなったそうです(>ω<)
以降は我が家の場合は個別でやっており地域ではどうなっているのか存じません— 空(うつほ) (@v45YudmV6J6auEp) August 15, 2022
アニミズム信仰の名残りでもありますね。
— Jake (@JakeisNickname) August 15, 2022
日本だと人間は死ぬと仏になって見守ってくれる…みたいな考えが多いから、その人の馴染みの深いところに還って見守ってくれると考えると実は全く同じ価値観ではあるのも面白いんですよね。
— こめっと (@Pokesun_moon) August 14, 2022