娘に性的暴行をして殺害した犯人クラウス・グラボウスキーを法廷で射殺し私的復讐したマリアンネ・バハマイヤーの生涯についてご紹介します。
マリアンネ・バハマイヤー(バックマイヤー)とは
マリアンネ・バハマイヤー(バックマイヤー)(Marianne Bachmeier、1950年6月3日 – 1996年9月17日)は、1981年にリューベック地方裁判所で、幼い娘アンナに対する強姦殺人犯を法廷で射殺した西ドイツの女性です。
彼女の悲劇的な生い立ちと、この事件による社会的な注目度から、彼女は広く知られています。当初は殺人罪で起訴されましたが、その後、罪状は過失致死と銃器の不法所持に変更され、最終的に情状酌量で6年の刑を宣告されました。3年の服役後に釈放され、外国に移住しましたが、膵臓癌が判明すると故国ドイツに戻り、46歳で亡くなりました。彼女の遺体はリューベックのブルグトール墓地に眠っています。
復讐までの経緯
マリアンネは1950年6月3日に西ドイツのニーダーザクセン州ヒルデスハイム近郊の小さな町ザルステットで生まれました。彼女の父は武装親衛隊(SS)の構成員であり、第二次世界大戦後に妻と東プロイセンから逃れてきた人でした。彼女の家庭は保守的であり、父親は権威主義的で、アルコール問題も抱えていました。後に両親は離婚し、マリアンネは母に引き取られました。
彼女は16歳で最初の子供を出産し、18歳で2人目の子供を身籠りました。この子供は生まれた直後に養子に出されました。1972年に娘アンナが誕生し、マリアンネは一人で彼女を育てました。
しかし、アンナは悲惨な運命をたどり、7歳のときに35歳の肉屋クラウス・グラボウスキーに誘拐され、性的暴行をされて絞殺して殺害、彼は遺体の入った箱を運河の岸に放置した。
●クラウス・グラボウスキー
グラボウスキーは性犯罪の常習犯で、過去に2人の少女への性的虐待で逮捕されており、1976年に自ら科学的去勢手術を望んで減刑されたが、ホルモン治療でこれを無効化していたため去勢はされていなかった。
1981年3月6日、リューベック地方裁判所157号法廷にて開廷していた3回目の審理で、マリアンネは密かに持ち込んだベレッタ70で、グラボウスキーを背後から7発撃ち、そのうち6発がグラボウスキーを射殺した。
この事件は私的復讐の正当性を示す最も有名な事件の一つとされ、世間の注目を浴びました。
1981年、ドイツでマリアンヌ・バックマイヤーは法廷に拳銃を持ち込み娘に性的虐待をして◯害したクラウス・グラボウスキーに弾丸5発撃ち込み裁判中に射◯した
この行為は正しい?正しくない?
— 激バズ3rd (@gekibnews) February 1, 2024
その後
1982年11月2日、検察はマリアンネを計画殺人で起訴したが、彼女を擁護する世論に押された検察は、殺人罪による起訴を取り下げ、彼女を過失致死と銃器の不法所持で有罪判決を下した。刑期は懲役6年だったが、3年で仮釈放された。
1985年、マリアンネは、ドイツ人学校の教師と結婚して、1988年にガーナのアクラに移住した。なお、1990年に離婚。
その後、彼女はイタリアのシチリアに移住し、ホスピスで安楽死のアシスタントをした後、1996年9月17日、マリアンネはリューベックの病院で膵臓癌により死去。享年46歳。遺体はリューベックのブルグトール墓地にあった娘アンナの墓の隣へ埋葬された。
●マリアンネと娘アンネの墓
ネットの声
心情的にはやむを得ないが、せめて「楽にしてやる」前に自分は罪人である事を裁判で自覚させてやってからでも遅くはなかったと思う
親としては最高?だと思う
ルールを守ることが必ずしも正しいとも限らないですよね。身内がやられたら…。
この行為はわかる気持ちがする。
親なら同じことするかもしれない
正しくはないだろうけど、自分だったらやっぱり殺る‼️